米どころ、横手盆地の真ん中に浅舞酒造株式会社はあります。創業大正6年。国学の素養のあった創業者、柿崎宗光氏は、古歌「天の戸は静かに明けて神路山杉の青葉に日影さすみゆ」から、銘柄を「天の戸」と名付けました。これは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の逸話にある「天の岩戸」のことで、それにちなんで蔵の玄関脇の石積みやラベルの中に勾玉(まがたま)があしらわれています。製造石数七百石。県内57軒の蔵元の中でも最も小さい蔵の一つです。
秋田県は、北海道、新潟に次ぐ米産県です。新酒鑑評会に出品される吟醸酒の9割は、酒米に山田錦が使われています。山田錦は酒米の王様ともいえ、現在、兵庫県他数県で作られていますが、この蔵は美山錦や吟の精など地元平鹿町の米を使っています。「自分たちのつくった米でできた、おいしい酒が飲んでみたい…」そんな思いから、平鹿町の農家9名が集まって、昭和63年にJA平鹿町酒米研究会を設立しました。量産よりも高品質を目指してくれたおかげで、地元の酒米(美山錦、吟の精)を使った「大吟醸天の戸」は、山田錦全盛の全国新酒鑑評会で秋田県初の5年連続の金賞をとりました。丹精込めて作ってくださる酒米生産者の皆さんの気持ちが、そのまま酒に溶け込んでいるからなしえた快挙とも言えることでした。
杜氏は森谷康市さん。平鹿町で農家としてコメとスイカを作っている。5代目社長の柿崎秀衛さんとは中学時代の同級生。そのよしみで社長さんに誘われ、昭和57年から農閑期の冬場をここで働くようになりました。お酒の事、造りの事、なにもわからず入ったのですが、間もなく杜氏さんが辞め、それと同時に吟醸造りも中断され、しばらく杜氏不在時代が続きました。そして、入って8年目に、いきなり社長さんから杜氏代行を命じられ、吟醸造りをまた始めよう、と言われました。しかし、森谷さんは吟醸経験が全く無く、泥縄式に酒造参考書を読んだり、吟醸造りの先輩蔵人に聞いたりしてやってみしたが、てんで問題になりませんでした。「よその蔵の杜氏さんはちゃんとしたシューズを履いてマラソンに参加しているのに、わたしだけ、はだしで走っている。」そんな気持ちだったそうです。
3度目の冬の事でした。秋田県の醸造試験場がAK-1(秋田流花酵母)という新しい酵母を開発し、吟醸酒造りのマニュアルと共に希望した蔵に配った。浅舞酒造にとっては、藁をも掴む思いでこれに賭けてみる気になりました。「これで駄目だったら、もう吟醸酒はあきらめよう。」蔵人たちはすべてを、この冬の酒に賭けた。何か問題が起きると、すぐに電話やファクスで問い合わせると、先生方は懇切丁寧に指導してくれました。そしてこの結果が初入賞につながりました。「山田錦でなければ入賞はむずかしい」という業界の「常識」をくつがえし、地元産米の美山錦あるいは吟の精を使っての5回連続入賞となれば、これはもう「偉業」といっていいだろう。 |